若者の政治離れがいわれて久しい時が経つ。若者に限らず各世代を通じて、日本の政治に対して諦めに似たしらけた感覚が漂っているように思われる。つまり「誰が政治家になっても一緒」なのである。そして気がつけば、日本という国は、世界史にも類のない程の借金を背負い込んでしまった。
私は、率直に、現在の政治のあり方は間違っている、と思う。政治とは権力のことであり、権力とは世界中いつの時代であっても利権と密接に結び付いてきた扱いにくい代物である。それゆえ、政治家の条件としては、セイント(聖人)とはいかないまでも、利権・利益とはある一定の距離を保て、存在するすべての人々のために、己の全存在、命までを懸けることのできる人物が求められる。
しかしながら、これまでの日本の民主主義では、ある特定の業界・団体の利益を代表する者が、圧倒的な資金力と組織力を背景に選挙を勝ち抜き、政治家と呼ばれ続けてきた。したがって、議会における多数意見と市民の多数意見とは必ずしも一致しなかったと言える。(明らかに無駄と思われる公共事業がいっこうになくならないのは、そのひとつの例。)そしていつの間にか多くの人々にとって、政治の世界というのは「浮き世離れ」したものになったのである。
そして若者に限らず、誰も政治家を目指さなくなってしまった。私が最も問題視していることは、将来に責任を持てない莫大な負債を誰がつくったのかとか、そんなことではない。悪い状況であれば、正しき方向を必死になり見つけ出せばよいだけのことである。つまり、いちばん問題なのは、その困難に対して挑戦しないこと、誰も立ち上がらないことにある、と考える。
人間が人間たるゆえんは、不可能と思われる事柄に果敢に挑戦し、ひとつひとつ克服していくことにある、と思う。また、ここで戦うしかないという瀬戸際に立たされて、初めて自己認識ができる。そして、それを越えることで、自分の知らない自分を発見できる。人生観、価値観が変わる。そういうことを追求する姿勢が、私は「知性」だと思う。
「国一人(いちにん)をもって興る。興らざるは努力せざるにあり。」のことばのように、すべては個人から始まる。
歴史が証明しているように、政治・経済・学問・宗教・文学・教育・企業、人間の考えだしたあらゆる営みは、すべて強力な「個」から生まれ発展したにすぎない。小さな挑戦が、時として人類にとって偉大な足跡を刻む。
今、一人の若者が、政治に対し素朴に疑問を抱き、自分なりに考え行動しております。しかし、道のりは嶮しく、打破って進むべき壁は高しと言えます。若輩者ではありますが、今後とも御理解と御指導を頂けます様、万感の思いを込めて御願い申し上げます。 |