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2026/07/18(Sat)
55歳最終日
18日(土)55歳の最終日、昼過ぎから夕方まで、有権者廻りをした。
炎天下、最後の方は、ポロシャツは汗でヨレヨレとなっていた。 出会う有権者は、汗まみれになっている濱田を見て、一様に驚いていた。 朝街頭演説をして、汗にまみれながら有権者廻りをして、政治家になるって、なんなんだろうね、と思うのだ。 本当にこれが正しいやり方なのか? いつも自問自答を繰り返している。 山の登り方はいくつもあっていいのだが、本当に正しいやり方なのか、どうなのか・・・・ 物価上昇に伴い、政治活動に関わる諸費用も上がっている。 切手は、84円から110円に チラシ代は、A4サイズ1枚あたり、約4円から約8円に 濱田は、過去の県議選の際に約1万通を超える郵便を出していた。後援会や各種名簿に郵送するのだ。 正直、封書は、従来のようには、もう出せない、と思うのである。 ポスティング料も上がっており、1区(中央区、東区、北区)の全世帯配布(約19万世帯)も事実上、できないのではないか、と考えている。 ポスティング料が、A4サイズのチラシで1件7円だとすると、 19万世帯×(チラシ代8円+ポスティング料7円)=約300万円 4年前は、全世帯配布に1回当たり約160万円(チラシ代+ポスティンン代)程度掛かっていたが、現在ほぼ倍の金額となっているのだ。 正直、従来のやり方は、費用が掛り過ぎるので、事実上、不可能であることを思うのである。 この物価高で、応援してくれる組織や団体がない候補者にとっては、極めて厳しい状況になっていることを感じるのである。 55歳、最終日、悩みは尽きないことを思うのである。
2026/07/17(Fri)
第6感・シックスセンス
本日、有権者廻りをしていると驚いたことがあった。
ある会社の前で電子タバコを吸っているサラリーマンと目が合ったので、「宜しくお願いします」とチラシを渡した。 すると、そのサラリーマンが、「私は、濱田さんの早稲田の後輩と仕事をしています」とのこと。 後輩とは、清宮(せいみや)くんのことだった。探検部の後輩だ。 つい先日、その方は鹿児島で清宮くんと仕事をしたばかりで、連日、清宮くんとメールのやり取りをしています、とのことだった。 清宮くんは、東京で働いており、熊本の会社と取引があって、鹿児島で仕事をしていたのだ。 その相手が、その方だったのだ。 清宮くんは、その方に濱田の話をしてくれたらしく、「応援を頼まれていた」とのこと。 20年程前に最後に会ったきりの探検部の後輩が、濱田のことを覚えていてくれて、「大造さんの応援頼むよ」と言ってくれていたのだ。 そして、濱田が頼んだ相手を引き当てるということ。 偶然にしては、できすぎの話。 たぶん、第六感が働いたんだと思う。 清宮くんが、いまでも濱田のことを忘れず、応援してくれていることを、心から嬉しく思ったのであった。 先日も、濱田事務所で働いていた女性と、約3年振りに訪問先で、偶然お会いした。 人間には目に見えない不思議な力があって、無意識のうちにその力が作用するのではないか、と感じている。 シックスセンスが働くのは、神経が研ぎ澄まされている証拠で、おそらく、来年、上手く行きそうな予感がするのだ。 否、感覚を研ぎ澄ませ、結果が出るように頑張るしかないのだと思う。
2026/07/16(Thr)
政党の意味
30歳で会社を辞めて以降、基本、濱田は一人で活動を続けてきた。
チラシを作り、名簿を作り、後援会を作り、各種段取りのほぼすべてを自分でやってきた。街頭演説も有権者への挨拶廻りも、基本一人。 濱田は、2021年9月に行われた衆議院選挙に落選以降、無所属の状態に陥っていた。2022年5月に行われた県議の補欠選挙も無所属で立候補。2023年の4月の県議選も無所属の立場だった。 今年1月日本維新の会に所属するまで、実に約4年間、無所属だったことになる。 無所属は、基本、仲間がいないことを意味する。 7月に入って以降、ほぼ毎日、有権者廻りをしている。感覚としては、終わりのない孤独な一本道を、一人歩んでいるような感覚。 だからこそ、政党に所属し、志を共にする仲間と政治行動を共にすることは、とても大きな意味を持つのだ。 政党の数は、限られている。 自民党、日本維新の会、中道、公明、立憲、国民、みらい、共産、社民、れいわ・・・・ 政治家が、自分から何れかの政党に入りたいと願っても、実は入れない場合が多いのだ。 仮に何れかの政党に入党できたとしても、その政党から公認を取得し立候補できる可能性は100%とは言えない。それまでに経緯から人間関係に至るまで、複雑な要因が絡むことになるからだ。 報道などで知りうる政治は、一部にすぎず、政治の世界とは、利害関係が複雑に絡み合う、一筋縄ではいかない世界なのだ。 来春の地方統一選挙、すでに熊本市・北区では、市議会議員候補として坂本健氏の擁立が決まった。坂本氏は、朝の街頭活動を開始している。 他の選挙区でも擁立は近い。 仲間を増やし、共に歩んでいくこと。 同じ熊本市で、維新の旗を掲げて汗を流す仲間がいることの意味は、計り知れないことが分かる。
2026/07/15(Wed)
出会い
15日、朝、白山通りの交差点で街頭演説をしていると、男性が声を掛けて来た。
「濱田さんに会いたかったです。会えて良かった。」 とのこと。そして名刺を頂いたのであった。 その方は、旅館と飲食店を経営されている方だった。 近いうちに、その方のお店に食べに行こうと思った次第。 午後、挨拶回りをしていたら、以前、濱田事務所で働いてくれていた女性とばったりお会いした。現在、彼女はご主人の転勤で海外在住。息子さんの学校の手続き関係で、昨日、たまたま帰国していたんだとか。海外勤務は丸3年になるのだが、さらにあと数年、海外生活が続くそうである。 偶然というのは、あるものなのだと思う。 妻に〇〇さんと会ったよ、と伝えたら、とても驚いていた。 ご縁のある人とは、どこかで再びお会いするものである。 ご縁を大切にすること。 濱田の選挙のやり方は、いたってシンプルだ。 朝街頭演説をして、午前中、仕事をして、午後からは、体力が続く限り、挨拶回りをする。 とにかく人に会うこと。 単調なことの繰り返しを続けるのだ。 街頭演説も挨拶回りも正直、しんどいさ。 しかし、身体が痛いとか、キツイとか、言っている暇はなくて、とにかく行動あるのみなのだ。 組織票や団体票がないのだから、大変なのは当然なのよ、と思うのである。
2026/07/14(Tue)
炎天の下で
今日も炎天下の下で歩いた。
朝、街頭演説をして、午前中に仕事を済ませ、午後から政治活動をする。 こんなことをやっている55歳なんて、いないんじゃないの、と思う。 一般的な55歳は、炎天下の下で街頭演説なんてしないし、有権者廻りもしない。 やはり、どうかしてる。ふつうの55歳は、もっと落ち着いているよ。 昨日訪ねた税理士事務所では、お茶を出してくれた。税理士の先生と20程、話す機会を得た。 税理士の先生曰く、 「株が上がっても、恩恵を受けるのは一部の人だけ。それに現在上がっている株は、半導体などの一部の株だけであって、ほとんどの株は横ばい。また数百万円の運用で、生活自体がどうなるわけでもない。 大切なのは、実体経済。 いろんな中小零細会社を見ているけど、物価が上がり、どこも内情は、大変です」 そんな話をされていた。 そして濱田には、大いに期待しているとのこと。 その先生は「維新に入って、本当に良かった」と言ってくれた。 ある社団法人を訪問すると、その組織のトップが、濱田が来訪したことを知って、後を追いかけてくれた。 「先生、頑張ってください」 とのこと。 年齢は60代後半の方だった。元県庁職員さん。 濱田は、先生ではないのだが・・・・ 濱田は、とにかく歩く。 真っ黒に日焼けして、汗を拭き出し、歩くのだ。 小規模多機能ホームの3部屋増築は、かなり完成に近付き、江津湖店の隣で行っている店舗の改修工事も終わりが見えてきた。かなり洒落たお店ができたと思う。 草佳苑のネットの販売事業も好調だ。この冬、本格的にふるさと納税の返礼事業が始まる。 草佳苑の宿舎には現在5人の外国人(ネパール人2人、スリランカ人3人)が暮らすのだが、新たに1人入居したいとの打診があった。ネパール人の女の子。うちで働く2人のネパール人の女の子が、菊池市で知り合った女の子だという。 今住んでいるアパートから引っ越して、うちの宿舎で住みたいとのこと。希望としては10月から入居。 「いいよ」と伝えた。 やるべきことはいくつもあるのだが、一つひとつを淡々とこなしていく濱田がある。 10年前に起業してなかったら、こんな展開にはなっていなかったと思う。 否定しない人生を歩むと、事業は拡大し、会社は成長する。 会社には、いろんな人が集って、毎日いろんなことがあり、トラブルや課題も多いのだが、結果、楽しい日々がある。 人生には失敗は付きものなのだが、失敗は挑戦してきたことの証なのだ。 そして濱田は、変わらず、試行錯誤しながら前へ進むのである。
2026/07/13(Mon)
もう疲れたんだよ
9日、れいわ新撰組の山本太郎代表が、党の代表を辞任した。さらには、政界引退も表明。
れいわ新選組を旗揚げしてから7年。 その幕切れは、呆気なかった。 山本太郎氏の演説は、感動ものだった。 こんなに演説の上手い人を濱田は見たことがなかった。彼は自身の演説で、感極まって泣いていたし、聴衆も泣いていた。 彼の訴えていた現代貨幣理論・MMTや、反ワクチン、反原発は、行き過ぎた面も否めないが、彼の行動力やカリスマ性は、誰も否定できない事実だったと思う。彼が、毎年行っている年末の炊き出しは、有名だった。被災地に寄り添う気持ちや行動は、本物だったと思う。 とにかく、彼は7年間、突っ走ったのだ。 すると、体が悲鳴を上げた。彼は癌の一歩手前の症状に陥ってしまったという。 そして、すべてのことに、疲れてしまったんだろうと思うのである。 資本主義のこの世界で、野党的な立場の政治家がいなくなったら、本当に困るのは、実は国民なのだ。 山本太郎は、共産党以上の共産党的な存在であったと思う。 政治家の役割は、金持ちの代弁ではない。声なき声を汲み取って、それを代弁していくこと。常に弱者に寄り添い、弱者の視点を踏まえて、社会をより良き方向に導くことにあるはずなのだ。 山本太郎の引退は、強力な代弁者が一人いなくなってしまったことを意味している。 個人的には、彼の引退は、本当に残念なことだと思うのである。
2026/07/12(Sun)
神道と天皇と
明治維新政府は幕府を倒し、近代国家を樹立する過程で、どのような形で国民を統合していくのか、を模索。
そして、国家運営の基本に据えられたのが【国家神道】という概念だったのだ。 明治政府は、神道と天皇を用いて、【国家による神の設計】を行ったと言えるのだ。 明治政府は、【国家神道】を定着させるため、神仏分離令(1868年)を発令している。 仏教は外来の宗教と認定され、日本全国の多くの寺や仏像が破壊され燃やされた、いわゆる【廃物棄却】が断行されたのである。 明治政府は日本の純粋な宗教として、神道を【国家神道】に昇華したのであった。 天皇は【現人神・あらひとがみ】と定義され、天皇そのものが、信仰の対象になって行ったのである。 明治政府は、国家神道そして神格化された天皇を中心に、【国民の精神的統合】を行っていったことが分かる。 【国家神道】という明治政府が創り出したシステムに必要なのは、信仰ではなく、【国民道徳】や国家に対する【忠誠心】だった。 1890年には、【教育勅語】が発布され、忠君愛国、親孝行、神の子孫としての天皇陛下への忠誠が、学校教育の基本に据えられている。 【靖国神社】もこの過程の中で整備され、国のために命を捧げた者たちは、以降、英霊として祀られるようになったのである。 国家神道ができるまで、国のために死んだ者が英霊として祀られるという概念自体が、この国にはなかった。 繰り返すが、明治政府が目指したのは、信仰ではなく、【道徳】と【忠誠】に基づいた国造りだったことが分かるのだ。 ちなみに、神道には、明確な【教義】や【経典】は存在しない。 儀礼や儀式はあるのだが、教義や経典が存在しない不思議な宗教なのだ。もちろん厳しい戒律の類もない。 教義や経典が存在しない宗教なんて、日本の神道以外に存在しないのではないか。 そして、明治政府が重んじたのは、神格化された天皇に正統性を持たせるストーリーだったのだ。 それが【万世一系】【男系男子】という考え方だったのだと思う。 教義や経典に正統性を見出すのではなくて、神の子孫、神の血統であることに正統性を見出すということ。 だから、女系天皇は絶対に認められないのだ。 教義・経典より、大切なのは【血統】ということ。 では、神道は何をしている宗教なのか? ひたすら祈る。国民の安寧と国家の安泰を、ひたすら祈る。それが神道の本質なのかもしれない。 道徳と忠誠の結果、日本は戦争に負けた。 敗戦の翌年、1946年、昭和天皇は「人間宣言」を行い“私は現人神ではない”と明言。 その発言を聴いて、多くの日本人が腰を抜かしたとされる。 政府が、明治以降80年近くに渡って【現人神】とプロパガンダを行うことによって、ほとんどの日本人は、天皇は神様だと信じ込んでいたのだから・・・・ 残念ながら、ほとんどの日本人は、これまでの流れ自体が頭に入っていないことが言える。神道や天皇に関して、もともと学んでいないし、知らないのだ。 本来、無知の間では、議論は成立しない。 天皇のあり方に付いて、国会議員が喧々諤々で議論するのが望ましいことなのであるが、結果、そうなっていない現実があるのだと思う。 |